ホーム > 過去ログ > 2009-11

2009-11

高専/技科大技術者教育連続化プロジェクト研究会

 高専/技科大技術者教育連続化プロジェクト研究会で発表。題目は、「自分を生かせる技術者へ」。
 武道部の卒業生が勤務する会社の新入社員について、いつも興味深い話を聞いているので、2人からその要点をまとめてもらったものを入れる。
 新入社員は高専や技科大卒だけではないので、一般的な傾向なのだろうが、専門的技術(能力)が非常に高い一方で、例えば、
・自分のアイデアが採用されないと分かると、とたんに不機嫌になり、グループワークに協力しなくなる。
・責任が生じることからひたすら逃げる。
・「仕事」という意識が薄く、市場調査に行っても、集合時間に遅れてきたり、就業時間内に勝手にホテルに帰ってしまう。
・フォーマットがないと何も出来ない。
・製品を使う人に対する配慮、気配りがない。
などなどの問題点があるという。私はそれらを全部まとめて「人間力」と呼び、「人間力」養成のプロジェクトを高専の先生と進めているというお話。

 一般的傾向かもしれないが、少なくとも高専や技科大の教育はそれでは困る。なぜなら、技科大の基本理念は、「豊かな人間性と国際的視野および自然と共生する心を持つ実践的創造的かつ指導的技術者を育成する」ことであり、そのために「透徹した物を見る眼、繊細で温かみのある感性、多元的な思考能力、グローバルな視野を培う教育を推進し・・・」と書いてあるし、どこの高専でも、教育目標として、「実践的技術者」とか「高度な技術者」を育成すると書いてある。つまり、そのような「者」「人間」「人材」を育成することを目標としているのであって、「技術を身に付けさせる」ことだけを目標としている高専(技科大を含む)は一つもないのである。

 では一体そういう「人間力」は誰がどこで養成するのか? 地域・家庭・学校という三位一体が壊れている現在、高専や大学でそういう教育をやる必要がないとはもはや言えない。
 では高専や大学で誰がやるのか?
 現在多くの教員は「それは自分の仕事(役割)ではない」と考えているのではないか?
 授業担当者でも、研究室の教員でも、その「内容」を教えることを自分の仕事と考えているのではないか?
 そうでない教員も多いが、それは「個人」に委ねられていて、連携も連続化もされていないのではないか?

 もちろんこういう教育は全員で時間をかけてやるのが理想的なのだが、とりあえず自分に出来るのは、授業と課外活動なので、そこで「コミュニケーション能力」と「人間力」を向上させる取り組みをしているということを話す。幸い、2つのプロジェクトには、それぞれ高専のスペシャルな先生が参加して下さっている(ブログからもそれぞれのプロジェクトのHPにリンクを貼っているので、高専以外の方も是非ご覧頂きたい)。

 「問題点は認識しているがこういう問題には答えがない」というコメントを頂く一方で、「現在、高専では一般科目(教養科目)はメインではなく、取って付けたような扱いになっているが、専門教育よりも、むしろ一般科目(教養科目)で高専と技科大の教育の連続化を考えることが有効なのではないか」というコメントも頂き、大変勇気付けられた。

 ところで、この研究会、技科大の駅前サテライトオフィスで開催された。私は初めて行った。発表を聴講中にトイレはどこかなと思ってちょっとキョロキョロした。すると私のその「気」の動きに反応して、部屋の隅に座ってパソコンで何か作業をしていたバイトの女性がこっちを見た。「おっ、なかなか気の利くいい子やな」と感心してよく見ると、何と武道部の第8代部長だった。お互いびっくりである。

 私の僅かな気の動きに敏感に反応できるほど成長していたことが嬉しかったので、武道部のことを話しているときに、「あそこに座っている女性が2代前の部長です」と言ったら、「なんだ、それで鍛えられているのか」と高専連携室長も仰って下さった。きっと評判がいいのだろう。「人間力」養成の取り組みの発表に、その生きた実践例となる彼女がいてくれてとてもうれしかったし、また有意義な発表になったと思う。

成績付け

 この二週間ほど苦しんだレポート採点や成績付けがようやく終わった。あとは入力するだけだ。
 今回はレポートの回数が多い授業が多く、人数も多かったのでいつも以上に大変だった。
 がレポートを読むのは、純粋に面白いし、自分の説明の足りないところ、新しい視点を教えられることも多く、勉強になる。何しろ全受講生と対話が出来るのであるから、私にとっては非常に大切なものである(ここでいうレポートは、毎授業の小レポート、感想文も含んでいる)。
 レポートさえなければこの授業面白いのにと思っている学生も多いだろうが、私は私で、成績さえ付けなくていいなら、レポート読むのは面白いのにと思っているのである。

井上陽水コンサート

 珍しく家族で出かける。今日は井上陽水のコンサートである。むすめは別にファンでもなんでもないが、1人で留守番をするのが嫌なのでついてくる。

 よかったです。

 終わってから食事をして豊橋駅についたら、もうバスがなかったので、私と娘は歩いて家に帰ることにした。「寒いからいやや」ということで妻は渥美線で。いつものように家族はバラバラになった。が、珍しく私と娘が一緒。ちょっと喜んで一緒に歩いて帰る途中、本屋さんで本を買う。レジに行くと、なんと技科大生。しかも私の授業の受講生。「おお」と言うと向こうも驚く。「あそこに、○○くんが」。振り返るとこれまた私の授業の受講生が。さすが国文学の受講生である。技科大生に本屋さんで会えるとは。ちょっと喜んで、また娘と一緒に歩いて家に帰った。

第13回黒帯の稽古会

 黒帯の稽古会も、もう13回めである。今回は「手の作り方」。けったいなテーマであるが、テーマは毎回幹事のえみこさんが決めるので、私は出されたテーマで、自分ができることを精一杯やるだけなのである。
 いつもながら、私自身、予想外に面白かった。みんな楽しく稽古ができた。いつもに比べていろいろやり過ぎて雑多な印象があったかもしれないが、内容は超スペシャルだったはずだ。

 懇親会での一人一言についてえみこさんが面白いことを言っていた。

 一人一言の内容が、みんな明るくなったね。

 確かにこれまでは、仕事で嫌なことがあったとか、仕事以外でも辛いことがあるとか、という前置きがあって、稽古会で元気が出た、武道を続けていてよかったとか、明日から頑張れるというパターンが結構あったのだが、今回はその前置きが全くなかった。
 それにしてもえみこさんは、そういうことにすぐ気がつきますね。

ピュアな体と昇段審査

 午前中武道部の稽古。最初の40分ほどを使って、体の感度をアップさせる。全員がピュアになった。その後の基本は、格別に空気が澄んでいて、気持ちが良かった。途中から元に戻る者もいたが、これは仕方がない。
 しかし、毎回この感性を作れば、稽古の質は格段にアップする。逆に、これをせず、技の稽古を繰り返しても上達は覚束ないのである。ようやく何人か、このことの本当の重要性に気づき始めてくれた。

 午後は尚志館と合同で、昇段審査。無事全員合格した。おめでとう。

企画展「江戸文学の世界」と塩野米松氏講演会

 三重県朝日町歴史博物館の企画展「江戸文学の世界」を見る。大変素晴らしく、充実したひとときを過ごす。それにしても個人でこれだけ集められたことは大変素晴らしい。さらに今回は出ていないものがまだまだ沢山あるというから驚きである。

 その後、いなべ市生涯学習事業「歴史と文化の講座」へ。今回は塩野米松さんの講演である。平日の19時からということで、武道部関係者は卒業生が4人、学生が2人と少人数である。
 小川さんの講演同様、塩野さんの講演も非常に面白かった。
 科学技術の最先端の工場でも、その技術の伝承は徒弟制度に近い形で行われていること、「私はいくらでも嘘をつくが、私の手は嘘をつけない」と語った竹細工のお祖母さんの話など、感銘をうける話が盛りだくさんであった。
 体を使った技術の伝承、手から手への技術の伝承の世界では、情報は経験として人間の体に蓄積されていく。だから経験や熟練ということが尊敬される。しかし、コンピュータを操る世界では、それを上手に操作できる人が必要とされ、情報は人間ではなくコンピュータに蓄積されてゆく。そういう世界では、年寄は尊敬されない。

 鏡を見て、自分に問いかけてみて下さい。
 そんな世界でいいんですか? 

 宮大工などの職人さんたちは、そういうことを私たちに語りかけているのかもしれませんね、といったお話をして下さる。

 印象的だったのは、つるおかくんの、1000人の職人さんの話をお聞きになった塩野さんにとって、西岡さんや小川さんは特別な存在ですか?という質問に対する答え。

 本が売れたという意味では特別ですが、1000人それぞれ、みなさんが特別な世界を持っておられます。そういう意味ではみんな特別な存在です。その方々のほとんどは名もなき職人さんたちです。

 講演後も気さくにお話をして下さいました。
幸せな一日でした。

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

形特別講習会

 忙しすぎて全く更新できなかった。
ようやくほんの少しだけ時間ができたので、今の間に遅れを取り戻したい。
 またいつものように日を遡って書くことになるが、主な出来事だけは記しておきたい。できるだけ早く追いつく。
 ちなみに今日は12月7日である。

 さて、11月15日(日)
 形の特別講習会。制引鎮の11回めである。いつもとちょっと違う稽古になる。水曜日に出来たと喜んでいたことを早速教える。ほぼ全員できるようになる。なんだ、簡単なことだったのか。
 不思議な実験も思いつき試してみる。私もみんなもびっくりである。そんなこんなで今回もスペシャルな講習会となった。
 それにしても形は奥深い。
 芭蕉は折々の戯れに「俳諧いまだ俵口をとかず」(私たちの俳諧は、まだ俳諧という世界の俵口をさえ解いていないよ)と度々語ったというが(『三冊子』「赤双紙」)、芸事の世界というのは、進めば進ほど闇が深まる。それゆえにまた、楽しいのである。

私は待っている

 昨日の武道部も試験とインフルエンザの影響で少人数だった。
 水曜日に引き続き全員、投げ技を稽古した。
 武道の技はいわゆる運動神経は関係ないので、心構えと気構えに応じて技が出来るようになる。
 部長はこの前の水曜日に始めて稽古して、わずか2回でコツを掴んだ。さすがである。あとは稽古を続ければ上達するだろう。
 もう一人、おおはたくんがブレークスルーしかかっている。彼に関しては大分前にこのブログで苦言を呈したこがあるが、それを機に奮起してくれたのである。そしていよいよブレークスルーするところまできた。一気に行ってほしい。
 もう何度も何度も言っているので、どういう心構え、気構えを持てば上達するかを、武道部員は全員知っている。そしてそれを実行したものからブレークスルーしてゆくのである。ただし、当然実行からブレークスルーまで、タイムラグがある。それを待ちきれないともとに戻ってしまう。
 でも私は、本人が諦めようと何しようと、ただひたすら、部員のブレークスルーを待っているのである。

靴の中から黒いものが・・・

 スリッパから靴に履き替えて、荷物を持って、研究室を出て、エレベーターまで行ってボタンを押した。靴の中に何か入っている感じがする。靴を脱いでトントントン。すると、黒いものが落ちてきて、手足をワナワナとさせている。ゴキ、死んだ。

えーっ!そんなあああ。

とりあえず処理しなければならない。部屋に戻って、紙をもって片付けようとしたまさにそのとき、

チーン

エレベーターの扉が開いた。
しゃがんだまま顔を上げる私。
無言のままこちらを見る某先生。

ゆっくり扉は閉じられた。

翌日この話をしたら、みんな近寄ってくれなくなった。

また調子にのってしまいました

 昨日の稽古は、試験が近づいた学生や、インフルエンザ濃厚接触者になってしまった学生が多く、なんと3人だった。
 人数が少ないときは特別稽古になるという武道部の伝統にしたがって、スペシャル稽古をした。
 新部長のリクエストによって、投げ技を教えた。そこまではよかったのだが、終了時間になってもう帰ろうと思ったら雨が降っていた。武道場に来るときはやんでいたので、傘がない。しかたがないので、ちょっと監督に技をかけて遊んでいた。投げ技の説明をしているときに感じていたことを試してみたのである。
 と、とんでもないことになってしまった。もちろんいつものように調子にのってやっていたのであるが、エスカレートしすぎて、今まで明確にはできなかった技ができた! のである。
 具体的な技についてはここでは書けないが、新部長はあまりの不思議さに、ただ呆然としていた。私自身も、いつものようにはしゃいで大笑いせず、「ふーむ」といいながら、何回も試していた(と自分で思ってるだけで、結構はしゃいでいたかも知れない)。他の人も、楽しそうというよりは、静かにキョトンとして見ていたように思う。笑っていたのは、黒田くんだけだっただろう。彼はとても楽しそうだった。
 土曜日は他の黒帯で試してみよーっと。

ホーム > 過去ログ > 2009-11

カレンダー
« 2009 年 11月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最近の投稿
最近のコメント
カテゴリー
アーカイブ
リンク
中森康之研究室
武道部
俳文学会
現象学研究会

ページトップに戻る