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2009-11

小学生からのメール

 仙台の小学生から「質問です!」というメールがきた。小学校の授業で俳句について調べていて「俳句の達人」で検索したら私の名前が出来てきた、といって質問してきたのである。そう、私は愛知県その道の達人派遣事業に「俳句の達人」として登録されているのである。
 それはさておき、何年生なのかも、どこの小学校なのかもまったく書かれていない(まさか先生じゃないよね?)。質問も非常に漠然としている。そこで、「初めての人にものを尋ねる時はきちんと自己紹介するもんですよ、また自分でどこまで調べてどこが分からないかをきちんと書かないといけませんよ」と返信したら、しばらくして返事がきた。仙台にある小学校の6年生だという。そして「礼儀正しくないところをお見せしてしまいとても申し訳ないと思っています。以後気をつけて生活したいと思います。有難うございます」と書かれていた。質問も少し変えられていた。
 そこで質問に答えた。何やら子供電話相談室みたい、と思いながら。またしばらくしてお礼の返信があった。
 ひょっとして今日は学級閉鎖かなんかで学校は休みなのか?

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学ぶということ

 尚志館の子ども(中1)がこんな質問をした。

 ある日突然、「ああこういうことだったのか!」と分かるのは何故ですか?

 尚志館では心得や論語の一節を、毎回声に出してみんなで言う。

 心得とか、それまで意味も分からずただ言ってただけだったけど、ある日突然、「ああ心得の一つめってこういう意味だったのか!」と分かったことがある。どうしてそういうことが起こるんですか?

 いつそんなことがあったの?

 うーん、3年生くらいかな。

 どうしてかは分からない。でも「学ぶ」とはそういうことだよ。そういう経験がいっぱいあるといいね。

 私が教職の授業を受けていたとき、意味が理解できない文章を暗唱させることほど意味のないことはない、そんなことをするから国語嫌いが増えるのだ、と何度も聞かされた。まず意味を理解させることが肝要だと。
 尚志館で行っているのは素読ではない。ほんの短い一節を一回みんなで声に出して言うだけである。
 でもたまにそういうのが自分の中に種として残っていて、ある日自分の経験によって、それが突然芽を出す。子どもたちの中にしっかり生きているのである。 この子は小学1年生から空手を始めた。意味がよく分からないまま心得や今月の言葉を言い、3年たって始めてその意味が分かった。そしてその経験がどういうことなのかをこれまた3年間ずっと不思議に思い続けていたのである。そうして何かの雑談のとき、ふと私に聞いてみたのである。
 どうしてそういうことがあるの?(この不思議な感覚は何なの?)

 この子は何年もの時間をかけて、ゆっくり、しっかり学んでいる。
 本当に子どもたちから学ぶことが多い、と改めて思った。

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