中森康之ブログ
靴の中から黒いものが・・・
- 2009-11-14 (土)
- 日記
スリッパから靴に履き替えて、荷物を持って、研究室を出て、エレベーターまで行ってボタンを押した。靴の中に何か入っている感じがする。靴を脱いでトントントン。すると、黒いものが落ちてきて、手足をワナワナとさせている。ゴキ、死んだ。
えーっ!そんなあああ。
とりあえず処理しなければならない。部屋に戻って、紙をもって片付けようとしたまさにそのとき、
チーン
エレベーターの扉が開いた。
しゃがんだまま顔を上げる私。
無言のままこちらを見る某先生。
ゆっくり扉は閉じられた。
翌日この話をしたら、みんな近寄ってくれなくなった。
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また調子にのってしまいました
- 2009-11-12 (木)
- 武道部
昨日の稽古は、試験が近づいた学生や、インフルエンザ濃厚接触者になってしまった学生が多く、なんと3人だった。
人数が少ないときは特別稽古になるという武道部の伝統にしたがって、スペシャル稽古をした。
新部長のリクエストによって、投げ技を教えた。そこまではよかったのだが、終了時間になってもう帰ろうと思ったら雨が降っていた。武道場に来るときはやんでいたので、傘がない。しかたがないので、ちょっと監督に技をかけて遊んでいた。投げ技の説明をしているときに感じていたことを試してみたのである。
と、とんでもないことになってしまった。もちろんいつものように調子にのってやっていたのであるが、エスカレートしすぎて、今まで明確にはできなかった技ができた! のである。
具体的な技についてはここでは書けないが、新部長はあまりの不思議さに、ただ呆然としていた。私自身も、いつものようにはしゃいで大笑いせず、「ふーむ」といいながら、何回も試していた(と自分で思ってるだけで、結構はしゃいでいたかも知れない)。他の人も、楽しそうというよりは、静かにキョトンとして見ていたように思う。笑っていたのは、黒田くんだけだっただろう。彼はとても楽しそうだった。
土曜日は他の黒帯で試してみよーっと。
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小学生からのメール
- 2009-11-10 (火)
- 日記
仙台の小学生から「質問です!」というメールがきた。小学校の授業で俳句について調べていて「俳句の達人」で検索したら私の名前が出来てきた、といって質問してきたのである。そう、私は愛知県その道の達人派遣事業に「俳句の達人」として登録されているのである。
それはさておき、何年生なのかも、どこの小学校なのかもまったく書かれていない(まさか先生じゃないよね?)。質問も非常に漠然としている。そこで、「初めての人にものを尋ねる時はきちんと自己紹介するもんですよ、また自分でどこまで調べてどこが分からないかをきちんと書かないといけませんよ」と返信したら、しばらくして返事がきた。仙台にある小学校の6年生だという。そして「礼儀正しくないところをお見せしてしまいとても申し訳ないと思っています。以後気をつけて生活したいと思います。有難うございます」と書かれていた。質問も少し変えられていた。
そこで質問に答えた。何やら子供電話相談室みたい、と思いながら。またしばらくしてお礼の返信があった。
ひょっとして今日は学級閉鎖かなんかで学校は休みなのか?
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学ぶということ
- 2009-11-02 (月)
- 日記
尚志館の子ども(中1)がこんな質問をした。
ある日突然、「ああこういうことだったのか!」と分かるのは何故ですか?
尚志館では心得や論語の一節を、毎回声に出してみんなで言う。
心得とか、それまで意味も分からずただ言ってただけだったけど、ある日突然、「ああ心得の一つめってこういう意味だったのか!」と分かったことがある。どうしてそういうことが起こるんですか?
いつそんなことがあったの?
うーん、3年生くらいかな。
どうしてかは分からない。でも「学ぶ」とはそういうことだよ。そういう経験がいっぱいあるといいね。
私が教職の授業を受けていたとき、意味が理解できない文章を暗唱させることほど意味のないことはない、そんなことをするから国語嫌いが増えるのだ、と何度も聞かされた。まず意味を理解させることが肝要だと。
尚志館で行っているのは素読ではない。ほんの短い一節を一回みんなで声に出して言うだけである。
でもたまにそういうのが自分の中に種として残っていて、ある日自分の経験によって、それが突然芽を出す。子どもたちの中にしっかり生きているのである。 この子は小学1年生から空手を始めた。意味がよく分からないまま心得や今月の言葉を言い、3年たって始めてその意味が分かった。そしてその経験がどういうことなのかをこれまた3年間ずっと不思議に思い続けていたのである。そうして何かの雑談のとき、ふと私に聞いてみたのである。
どうしてそういうことがあるの?(この不思議な感覚は何なの?)
この子は何年もの時間をかけて、ゆっくり、しっかり学んでいる。
本当に子どもたちから学ぶことが多い、と改めて思った。
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桑名本願寺・梅花仏鑑塔
- 2009-10-21 (水)
- 研究
10月10日、小川さんの講演でいなべ市にいく前に、桑名の本願寺に支考の分骨墓を見に行った。桑名市の指定文化財となっている。本願寺は現在は建物はなく、お墓のみがあり、細い路地をはなさんでその向かい側にあった。
享保16(1731)年支考が亡くなったとき、「東海道往来の風雅士」が参拝しやすいように、雲裡坊杉夫が建立したという。すぐ側の伊勢湾岸道をいつも通っていたので、今回初めて参拝できでよかった。
それにしても、本家の獅子門は現在でもますます盛んであるし、雲裡坊の「間遠社」は、昭和18年頃まで、約200年間存続したという。大分前に論文に書いたが、支考は希有な経営センスをもっていたのである。
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久しぶりのコモンズ会
- 2009-10-15 (木)
- 武道部
昨夜、久しぶりのコモンズ会を開催した。コモンズ会とは、武道部員との雑談会である。
やはり話題は小川さんの講演会の話になった。参加者の多くが、自分は「察せよ」修行コースを歩みたいと表明。
とても楽しみである。
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技科大生再び
- 2009-10-14 (水)
- 授業
以前技科大生、恐るべし!で紹介した学生が、2学期応答プレゼンに登場した。応答プレゼンとは、前週にプレゼンされたお薦め本を読んできて応答するというものである。取り上げられた本は藤原正彦『国家の品格』、応答プレゼンのタイトルは、
日本的情緒と豊橋技術科学大学の基本理念に関する分析
前週のプレゼンで、大学の基本理念が話題に上げられていたのであるが、それにきっちり応答して見せたのである。
さすがである。
ちなみに実際の彼はとても人間的な笑顔を持っていることを申し添えておきたい(^^)
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新城市立作手中学校
- 2009-10-13 (火)
- 日記
愛知県達人派遣事業で新城市立作手中学校に行ってきた。なんと私は「俳句の達人」なのである。
1年生と3年生に授業をしたが、とても素直で熱心な生徒さんで、楽しく授業ができた。3年生は私の話への食いつきがよかったし(ちゃんと笑ってくれた)、1年生は、初めは私が動き回っていたのだが、そのうち待ちきれない生徒さんが席を立って私に見せにやってきて、その後列ができて、そんでもってチャイムがなって、となった。最後にきちんとまとめて終わるという落ち着いた授業にならなかったので達成感がやや心配だが、ダイナミックに楽しんで貰えたのではないかな、と勝手に期待している。私自身は楽しかったし、生徒さんのピュアな心に打たれた。
終了後、何年かぶりに、学校で作っているという自慢の給食を頂きました。とても美味しく頂きました。
http://www.city.shinshiro.ed.jp/tsukude-jh/
(番外編)
すっかり作手の空気が気に入って、雑談しているときに「住みたい」と言ったら、分譲している場所を校長先生が詳しく教えて下さり、地図まで書いて頂きました。もちろん見て帰りました。家に帰って早速家族に言いました。
作手に住まへん?
???
しばらく間が空いて、何事も無かったかのように我が家の時間が再び流れ始めました。まあいつも訳の分からんこと突然言い出しますからね、僕。
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木村秋則さん講演会
- 2009-10-12 (月)
- 日記
特別な三連休、三日め。
10月12日。木村秋則さん講演会。
以前このブログでも紹介した奇跡のリンゴの木村秋則さんの講演会があった。COP10開催1年前記念行事、生物多様性フォーラムの記念講演である。
木村さんひとりによる講演ではなく、聞き手による対話によって行われ、ときおり会話に行き違いがあったのが少し残念だったが、ほんとうはそんなことどうでもよい。ナマの木村さんを見られただけで、大感激だった。
緩んだ力みのない自然体で、非常にスケールの大きい話をされていた。スケールの大きい話とは、宇宙大の話であり、目に見えない小さい虫の話である。私たち人間が、目に見えない小さい虫たちの命に支えられていることを感じる心と、宇宙の中の地球を想像できる心とは同じものであることを教わった。私もそのような豊かな心をもちたいと思う。
面白いことがあった。
講演前にオープニングセレモニーがあり、何人も挨拶されたのだが、それを見ているうちに首が痛くなった。端に座っていたから当然といえば当然である。ところが、木村さんの姿を1時間ほどずっと見ていても、首は全く痛くならなかった。木村さんのあの緩んだ自然体と笑顔によって、私の体と心も緩んだのであろう。木村さんのそばにいるだけで、自然と心と体が解放される、そういう力をもっておられるのである。私は憧れモード全開で見ていたのでそうなったが、逆にこちらに邪心があると、非常に疲れるのではないだろうか。こちら側の心をそのまま映してしまうほどピュアな存在感だった。
ただただ憧れる。
終了後はいつものように感想会。1次会はお茶会、2次会は食事会となった。帰りの電車が一緒だった二人とは電車の中で3次会。といっても2次会以降はほとんどひとりで喋ってました。たぶん二人はへとへとに疲れただろう。
まだまだ木村さんの境地にはほど遠いようである。
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