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今日は輪講

今日は輪講。
ずっとジェイコブズを読んできたが、ちょっとお休み。

西研さんが先日モントリオールで開催された国際人間科学研究会議(International Human Science Research Conference: IHSRC)で発表された原稿を頂いたので、それを読んだ。

“What is evidence?”

まだ全て読んでいないが、最高に面白い。私が長年言いたかったことがきちんと論じられている。これに関した日本語のインタビューが西さんのHPに掲載されている(「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」

また、このインタビューをうけて行岡さんがコメントを書いておられる(主任教授の独り言「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」を読んで」

このevidenceの問題については、改めて書きたいと思う。

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その町にあった都市空間

今日の3時限め、都市空間論のプレゼンはシンガポールについてだった。

その国の特徴、その国が何をウリにしようとしているのかなどなど、やはり都市計画はその土地、その町、その国にあったものでなければならない。そんな当たり前のことを再確認した。

どこでもないどこかの模型を作ってみても、それはやはりどこでもない。それをどこかに合うようにアレンジして…、という発想はやはり無理だろうと思う。どこかの都市の成功事例を他のところにもっていってもダメだろう。やはりそんな当たり前のことをいくつも確認させてくれたプレゼンだった。発表者に感謝である。

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名古屋市博物館開館35周年記念特別展「芭蕉-広がる世界、深まる心-」

29日から名古屋市博物館開館35周年記念特別展「芭蕉-広がる世界、深まる心-」が始まった(11月11日まで)。

今日は、田中善信氏の記念講演「芭蕉-二つの顔-」。前から行く予定をしていたのだが、急遽研究室の仕事が入って断念した。久しぶりに善信節が聞けると思っていたのにとても残念であった。

これもまた人生である。

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あなたへ

先週のことになるが、映画「あなたへ」を観てきた。
高倉健さん、かっこいいですね。

数年前、授業で高倉健さんの『南極のペンギン』を使っていた。宇崎竜童さんの音楽をバックに、ご本人が朗読されている。とてもよい本だった。再編によってその授業がなくなったのがとても惜しい。国文学とかでまたやろうかなあ。

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いかにもありそうな…

東スポWeb 9月26日(水)に、「岡田監督が絶句したオリックス主力の“造反劇”」という記事が掲載されている。

岡田監督が遠征先の宿舎ホテルの自室に主力選手数人を呼んて奮起を促そうとしたら、逆に「監督がベンチであれこれ言うので選手が萎縮して本当の力が出せません」と言われたというのである。また、指導に対しても、「僕は10年以上もプロでやっているんです。今さら、そんな練習は必要ありません」と拒否するなど、あぜんとする事件が続出したと書かれている。

記事は、岡田監督を擁護し、選手批判というスタンスで書かれているが、もちろんこの記事だけでは真相は分からない。しかし、よくある新入社員エピソードといいこの記事といい、いかにもありそうな話だから恐ろしい。

この「恐ろしい」はダブルミーニングである。もし本当だとしたら、「恐ろしい」。もし作り話であったり、かなりデフォルトされたものであっても、いかにもありそうな話だと思ってしまうところが、やはり「恐ろしい」。

いずれにしても、「恐ろしい」。

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軽井沢ボーリズ建築探訪1

30日から軽井沢へ。

30日は、企画展「西村伊作 楽しみの為にする仕事」を見るためにルヴァン美術館へ。

実はここのところ西村伊作に注目していたので、行けてよかった。展示でおどろいたのは陶器である。西村伊作の陶器を初めて見たが、実に素晴らしい。いやいや、これは……。至福のときであった。

まだ持っていない本を何冊か購入し、cafeへ。


蜂もやってきた


とまる

しばしのんびりして本日の宿へ。


ノームの森


本館のお部屋。ここを1人使用。


夕食はレストランで。なんとここも1人使用。

明日はいよいよヴォーリズ建築探訪。

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稽古に神変あり

「稽古に神変(じんべん、じんぺん)あり」という言葉がある。
『日本国語大辞典』は、『毛吹草』や『譬喩尽』をあげ、「熱心に稽古すれば、能力以上の高い境地に達するものである」と解説する。

私たち武道を志すものは、「練習」とは言わず「稽古」と言う。なぜか?
「稽古」という言葉の意味は、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」ということであり、「古事を考えて、物事のかつてあったあり方とこれからあるべき姿とを正確に知ること」だからである。単に何かを繰り返すこととは全く違う。練習やトレーニングは、必ずしもいにしえをかんがえる必要はないのかもしれない。しかし稽古は違う。いにしえをかんがえ、理を明らかにし、正しき道を歩むこと。これが稽古である。

かつて先人たちが歩んだ道を、自分もまた正しく歩む。かつて先人たちが辿り着いた境地に、自分もまたいつかは至る可能性を信じて。そうして日々のやるべきことを少しずつ積み重ねているうちに、ある時突然ブレイクスルーするときがある。「稽古に神変あり」とは、そのことに他ならない。

それが、いつ、なぜ自分にやってくるのかは、決して分からない。また、神変を目指して稽古するものでもない。稽古には神変というものがつきものだが、神変のためにするものではないのである。神変は、稽古の結果であり、待つしかないものである。

ただ、正しい「稽古」を続けているものには必ずやってくることもまた、正しいことなのである。

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人を動かすモチベーション

朝日新聞に、社員のやる気を引き出すという話が載っていた。二人の対極的な経営者にインタビューしている記事である。

片や、完全年功序列の賃金制度を採用している会社。全員が正社員、定年が70歳、給料も他より高いというが、基本給やボーナスは「年齢と社歴で決める」。曰く、「いくら上司にごまをすっても、変わらない」。ちなみにこの会社の年間休日は140日、残業は禁止だそうだ。

片や、精神論や日本の企業によくあるという「平等主義」は企業をダメにするという方。社員のやる気を引き出すのに最も適しているのは「成果主義」だという。ただし、結果だけにとらわれず、プロセスを重視した「成果主義」である。

もちろん私は前者に深く共感した次第である。そして一番驚いたのは、後者のインタビューの最後にこう書かれていたことである。

人を動かすモチベーションの源泉は「自分がしたことが正しく評価されること」しかない。

なんと悲しい人間観なんだろう。
悲しいかな、悲しいかな。この方は、「正しい評価」以外のモチベーションで動く人間に出会ったことがないらしい。そして、モチベーションに左右されないで仕事をする人に出会ったことがないのだろう。

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取り返しがつくコミュニケーション

建築家の隈研吾さんが「図書」2012年8月号に「取り返しがつく世界」というエッセイを書いておられる。

その文章は、「僕はいまだに原稿を手書きで書く」で始まる。コンピュータで書くと、「確定」してしまう感じがして耐えられないからだそうだ。

全ての決定のプロセスにおいてー建築の設計も、原稿でもー僕はこの、取り返しがつかないという感じが大嫌いで、いかに取り返しがつく状態にしておくかが僕の日常のテーマとなっていて……

だから隈さんは、一発勝負で取り返しがつかない「コンクリート打放し」は、自分にはなじまないという。

もやもやとした「草稿」からはじめて、すこしずつ霧が晴れていくように、自分は何をいいたいのか、やりたいのかわかってくるという日常である。

私もやはり、こういう「創造」がなじむ。だから私が考えているコミュニケーションも、やはりこういう経験である。「もやもやとした草稿」からはじめて、何度もやりなおし、やりなおししているうちに、かろうじて言葉にできる。相手にうまく伝わっていないとなると、またやりなおす。その繰り返しこそがコミュニケーションである。だからコミュニケーションは取り返しがつく。断定しようが、何しようが、後からいくらでもやり直せるのである。いくらでも取り返しがつくということが共有されていれば、勇気をもって断定できる。つまり自分の意見をはっきりと言える。そこからコミュニケーションが始まるのである。

断定は、コミュニケーションの終わりではなく始まりである。

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スカイツリーは五重塔をお手本にした???

“Discovery Japan 2012年6月号「建築でめぐる日本観光」”を入手。

小川三夫師匠が登場しておられる。

表紙には、

東京スカイツリーのお手本は法隆寺の五重塔だった!

とある。

中にも、

ハイ、実はそうなんです。
五重塔の心柱がお手本なんです。

という、設計部門デザインパートナーの方のお話が掲載されている。

五重塔に敬意を表して「心柱制振」と名付けられた世界初の制振システムを採用した、と。

それでは「お手本になった法隆寺五重塔に行ってみよう!」ということで、法隆寺へ。

そこで小川師匠と法隆寺執事長の古谷正覚さんにお話をお聞きするという企画である。

いきなり、「スカイツリーの免震構造は法隆寺五重塔の心柱を参考にしています」と、核心の質問。ところが、小川師匠のお答えはこうだった。

うーん、スカイツリーの柱と心柱は、まるっきり違うということではないけども……、そもそも心柱は支える柱じゃないんだよ。

古谷さんも、

心柱も拝む対象であって、塔全体が、お釈迦様のお墓ですから。

と続けられる。その後も小川師匠が少し説明されているが、要するに、スカイツリーの柱と心柱とでは、全く「意味が違う」ということなのである(お二人ともそういう言い方はされていないが)。

これはとても大切な問題である。

スカイツリーを設計した方は、五重塔の心柱をヒントに制振システムを開発したとおっしゃっている。しかし小川師匠は、それは心柱の意味を失っている、だから心柱ではない、とおっしゃっているのである。たしかに心柱には、塔全体の振動を吸収する働きがある。しかしそれを取り入れたスカイツリーの柱からは、「心柱とは何か」という心柱の本質が完全に捨てられてしまっているのである。そもそも五重塔は心柱がメインであって、塔は心柱を守る存在なのである。「貫を抜いたり(穴を開けること)、釘を止めたりも絶対にしない」(小川)。

西岡棟梁や小川師匠は、五重塔に入れば、飛鳥の工人と対話できるとおしゃっておられる。彼らが何を大切にし、何を思い、何と格闘したのか。それらを思い出し、受け継ぐのが「伝統」である。師から弟子への「技術」の伝授など、「伝統」でもなんでもないと前に小川師匠がおっしゃっていた。

飛鳥の工人たちにとって心柱とはどういうものだったのか。なぜ絶対に貫を抜いたり釘を止めたりしなかったのか。そういう中で彼らは何と戦ったのか。そういう「心」の対話の中にしか「伝統」はないというのである。ということは、「東京スカイツリーのお手本は法隆寺の五重塔だった!」と言ったとたん、その「伝統」は捨て去られてしまったと言わざるをえない。確かに「技術」の一部を受け継ぎ発展させたかも知れない。しかしそれは、「当時の人にはそんな意識はなかったよ」(小川)という心柱の免震構造という「技術」だけを「つまみ食い」したと言っているのと同じである。それを支えていた「心柱とは何か」という「心」が忘れ去られているからである。

私は何も、心柱から現代的な制振システムを開発してはいけないと言っている訳ではない。素晴らしいシステムが開発できたのであれば、必ずしも心柱の本質を受け継いでいなくても構わない。しかし、それは単に「あるもの」からヒントを得て開発された独立した一つの「技術」であるというだけの話であって、できあがったものは、心柱とは何の関係もない。それは例えば、川で流れている枯葉を見て開発された自動改札システムが、枯葉の本質と何の関係もないのと同様である。

しかし枯葉と自動改札に比して、心柱とスカイツリーの柱は、あまりに近すぎた。あまりに近すぎたが故に、ここから「伝統」が奪われ、本質が失われたことが見えなくなってしまったのである。

スカイツリーには日本の最先端の素晴らしい技術が生かされている。そこに集まった技術者たちの熱い思いもお聞きした。(講演:田村達一氏(株式会社 大林組 技術本部企画推進室副部長)「東京スカイツリーの施工技術」)

しかしそれゆえ、私たちは、スカイツリーの柱と法隆寺の五重塔の心柱は、全く違うものであることも、深く心に刻んでおかなければならないと思う。飛鳥の工人にも、現代の技術者にも、どちらにも最高の敬意を表するために。そして、スカイツリーの柱と五重塔の心柱が全く別ものであるということによってのみかろうじて浮き彫りにされる、五重塔からスカイツリーに受け継がれた日本のものづくりの「伝統」があるということをはっきりさせるために。

私は、今のところ、このような言い方でしかここにある大切な問題を言うことができない。おそらくこのような言い方では、特に建築関係の方のご理解は得られないだろうと思う。なんとももどかしい。しかし、やはりここでどうしても言っておかなければならない、そう思った次第である。

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